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秋田地方裁判所大館支部 昭和33年(わ)94号 判決 1959年10月17日

被告人 菅原昭二

昭二・一一・一五生 事務員

主文

被告人を禁錮四月に処する。

但し、本裁判確定の日から弐年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(事実)

被告人は日本人であるが、昭和二十七年十月頃より昭和二十八年七月頃迄の間に本邦外の地域であるソヴィエト社会主義共和国連邦モスクワ及びルーマニヤ国ブカレストにおもむく意図をもつて、有効な旅券に出国の証印を受けないで本邦より出国したものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人及び各弁護人の主張に対する判断)

第一、憲法違反の主張について

被告人及び各弁護人は、旅券法第十三条第一項第五号及びそれを受ける出入国管理令第六十条第二項は、憲法前文、第十一条、第二十二条に違反するから無効であると主張する。憲法第二十二条第二項の外国に移住する自由には外国へ一時渡航する自由をも包含すると解すべきであるが、外国渡航の自由といえども無制限のままに許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解すべきことは憲法第十二条第十三条の明文に照らして明らかである。ところで、旅券法第十三条第一項第五号は旅券発給をしないことができる場合として、「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者と規定し、これは、出国の手続に関する措置として、出入国管理令第六十条第一項が「本邦外の地域におもむく意図をもつて出国する日本人(乗員を除く)は有効な旅券を所持し、その者が出国する出入国港において、入国審査官からその旅券に出国の証印を受けなければならない」と規定し、更に、それを受けて同条第二項が「前項の日本人は、旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない。」と規定しているのと相俟つて、実際上、憲法第二十二条第二項の保障する外国渡航の自由が制限される結果を招来するような場合があるとしても、出入国管理令第一条に規定するように、本邦に入国し、又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を行うという公共の福祉のために設けられたものであるから、右の諸規定は憲法前文、第十一条、第二十二条第二項に違反するものとは解せられない。従つて、この点に関する主張は理由がない。

第二、公訴時効の完成の主張について

主任弁護人は、刑事訴訟法第二百五十五条によつて時効が停止されるためには、犯人が国外にいるため有効に起訴状の謄本の送達ができなかつたことの証明がなければならないが、本件については、被告人に対して起訴があつたことも、起訴状謄本が被告人が国外にいるため有効に送達できなかつたことも証明されないから、公訴時効は停止せず、従つて、被告人が出国したと検察官の主張する時から三年以上の経過により本件犯罪の公訴時効が完成したと主張する。

密出国の罪は出国と同時に成立するが、刑事訴訟法第二百五十五条第一項によれば、犯人が国外にいる場合には時効はその国外にいる期間その進行を停止するのであつて、この場合には、犯人が逃げ隠れている場合と異り公訴の提起も起訴状謄本の送達の能否も要件とはなつていないものと解すべきである。被告人は、少くとも昭和二十八年七月頃から昭和三十三年七月十三日舞鶴港に上陸帰国するまでの間国外にいたことは前掲証拠によつて明白であるから、かかる場合には、刑事訴訟法第二百五十五条第一項によつて右国外にいた期間公訴時効の進行が停止し、被告人が帰国した昭和三十三年七月十三日から進行を始めたものであるところ同年七月二十五日本件公訴の提起がなされたのであるから、本件犯罪の公訴時効が未だ完成しないことは明らかである。従つてこの点の主張も採用し難い。

第三、訴因の明示がないとの主張について

被告人及び主任弁護人は、本件出入国管理令違反の公訴事実は、出国の時期があいまいであり、且出国の場所及び方法について全く記載が欠けており、訴因の明示がないから、刑事訴訟法第二百五十六条第三項に違反し、従つて、公訴棄却さるべきであると主張する。

なるほど、本件起訴状の公訴事実には「被告人は昭和二十七年十月頃より昭和二十八年十月頃迄の間に有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦外の地域たるソヴィエト連邦モスクワ及びルーマニヤ国プカレストに出国したものである」とあるだけであつて、出国した確定年月日、特定の場所、特定の方法を明示していないことは所論のとおりであり、当公廷で取調べた全証拠によるもこれを確認するに足る証拠がないのであるが、刑事訴訟法第二百五十六条第三項の趣旨は、訴因によつて表示される公訴の客体なる犯罪事実を特定明瞭にして、他の訴因を構成すべき事実と識別させ、これによつて、裁判所に対し審判の対象範囲を明確にするとともに、被告人に対し防禦の対象範囲を明示してその防禦を全うさせようとするにある。従つて、訴因即ち犯罪構成要件に該当する事実を具体的に特定する限度は少くとも他の訴因を構成すべき事実と区別できる程度でなければならないが、当該訴因を構成すべき事実が全体として日時、場所、方法等によつて特定されれば足り、日時、場所、方法等はできる限り具体的に記載すればよいのであつて、仮に日時、場所、方法等の個々の因子のあるものに不特定な部分があつても、これを他の因子と相俟つて訴因全体として観察し、これが一の訴因として他の訴因と識別しうる程度である以上訴因の明示があつたといえるのである。本件起訴状の公訴事実の記載は前記の通りであるが、当公廷において取調べた全証拠、特に被告人の検察官に対する昭和三十三年七月十八日、同月二十五日付各供述調書によれば、被告人の出国行為が一回であることを認めることができるのであつて、被告人が二回以上出国したかもしれないという疑は全然存しない。そして、密出国罪の特異性からして、密出国が一回であり、二回以上であるかも知れないという疑がない限り、前記程度の記載があれば、訴因全体としては他の訴因と識別でき、その同一性を認識するに足りるものと言えるから、本件起訴状の記載をもつて訴因の明示がないから、起訴状は無効であり、公訴棄却さるべきものと解することはできない。この点に関する主張も理由がない。

第四、期待可能性がない。又は正当行為であるとの主張について

被告人及び主任弁護人は、当時朝鮮における動乱が第三次世界大戦に発展する危険があつたので、被告人は、日本の実状を紹介し、世界各国の人民と交流することによつて、大戦を防止し、世界の平和を守る運動を国際的に押し進めようという目的で出国したのであるが、当時の日本国政府は、ソ連、中共向けの旅券の発給を不当にも事実上停止している状態であつたから、仮に被告人から旅券の発給を申請したとしても拒否されることは極めて明白である。かような事情のもとにおいては被告人に対し、本件犯行を為さないことを期待することは不可能であつたし、前記出国の目的に照らし、被告の本件出国行為は正当行為であるから、いずれの点からしても被告人は無罪であると主張する。

旅券法は前述のように憲法に適合した法律であるから、本邦外の地域におもむこうとする日本人が同法所定の旅券発給申請手続を践むことを要請されるのは当然である。本件についてこれをみるに、当時の国内及び国際情勢が被告人及び主任弁護人主張の如きものであつたとしても、先づ旅券発給の申請をなし、万一旅券発給を拒否されたとしても、法による救済手続に訴えるならば格別このような手続を践んでも旅券の発給を受けることはできない。従つてこのような手続をとることは無意味であるとの考えのもとに所定の手続を経ることなく、敢えて出国するが如き法無視の手段に訴えることは通常人の容易に採らないところである。即ち、通常の日本人ならば、かかる場合出国を思い止まるであろうことは一般に期待しうるところである。又、かかる事情のもとに被告人主張の如き目的を以つてなした本件出国行為は刑法第三十五条の正当行為に該当するとの所論も特殊の政治思想乃至は信条を前提とする独自の見解に基くものであるから採用し難い。この点に関する主張も理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は出入国管理令第七十一条、第六十条第二項罰金等臨時措置法第二条に該当するから、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を禁錮四月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、刑法第二十五条第一項を適用して本裁判確定の日から弐年間右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り全部これを被告人の負担とする。

仍て主文のとおり判決する。

(裁判官 山田忠治)

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